算命占星術学鑑定所明学院宇都宮校

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ナポレオン・ボナパルトの運勢


ナポレオン・ボナパルトは18世紀のフランス革命の混乱を収拾し、軍人でありながらフランス皇帝にまで登り詰め、神聖ローマ帝国をも滅亡させ、ヨーロッパ大陸の大半を手中に収めた英雄です。
その英雄ナポレオンと、彼が愛した妻ジョセフィーヌ・ド・ボアルネとの相性を解析し、その相性が、ナポレオンの人生にどのような影響を与えたのか、彼の人生の光と影を算命占星術学的に検証します。

ナポレオン・ボナパルトは1769年、コルシカ島のアジャクシオにおいて、12人兄弟の4番目として生まれ、後にフランスに渡り修道院付属学校、ブリエンヌ陸軍幼年学校そしてパリの陸軍士官学校を得て1785年砲兵士官としてフランス軍に任官します。しかし、彼の軍人としての人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
フランス革命後1792年親仏派であるという理由でフランスを追放されますが、翌1793年には原隊復帰、その後彼は、指揮官としての才能を如何なく発揮し戦場で大活躍、一躍フランス軍を代表する若き英雄へと祭り上げられます。
この時ナポレオン24歳、1794年には、革命政府内での政情不安、クーデター等の巻き沿いをくい逮捕、軍務から外され降格処分、翌1795年には、軍友の引き上げにより軍務に復帰しますが、常に時代の波に翻弄され、実力がありながら浮き沈みの激しい人生を歩んでいました。

結婚が人生を大きく変えることに

しかし1796年、貴族の未亡人であるジョセフィーヌ・ド・ボアルネと結婚し、この結婚が彼の波乱の人生を大きく変える転機となりました。
ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日生)、ジョセフィーヌ・ド・ボアルネ(1763年6月23日生)、この二人の相性を算命占星術学的に見てみると、何と大半会という星が表出します。
大半会とは、どこまでも広がりを見せる星、そして、この二人が結婚する事により、自分の考え、行動が全てプラスに作用し、本人達自身、信じられない程の運の広がり、上昇させる事が出来る星です。
彼女との大半会の相性が、彼の波乱の人生に終止符をうち、恐ろしいまでの運気上昇に拍車をかけるきっかけとなりました。
現にナポレオンは、彼女との結婚後連戦連勝、着実にヨーロッパ大陸の領土を拡大していきます。
どのような不利な戦いにも勝利していくナポレオンに、フランス国民は歓喜し、1799年にはフランス第一統領となり、1804年には、フランス人民の皇帝にまで登り詰めました。

大半会の星が実力を最大限に引き上げた

ここで大切なのは、ナポレオンの妻、ジョセフィーヌ・ド・ボアルネの存在です。
ナポレオンと彼女の相性は、先ほども述べましたが大半会という星が表出します。この大半会の相性により、彼の運、実力が最大限に引き上げられ、作戦一つをとってもプラスに作用し、どのような戦にも勝利に導く結果となりました。
彼がこれまで苦戦を強いられた戦は沢山ありましたが、それでも勝ち続けられたのは、間違いなく妻との大半会の相性の賜物なのです。
一国の王になる人物にとって、この相性占技は、非常に重要なものになります。
王夫妻の相性が悪いというだけで政情が不安となり、最悪は滅んでいく、「相性占技は国をも亡ぼす。」というほどです。
これが一家庭であれば家庭という小国を左右し、国レベルになると国を左右する、今まで天下人と呼ばれる人達の殆どが、周りの人達との好相性の中で活躍していたという事実は恐ろしい程です。

離婚を機に失脚の道へ

しかし、ナポレオンがこれだけの好相性と運気によって、皇帝にまで登り詰めながら、なぜ失脚したのか、それは1810年ジョセフィーヌ・ド・ボアルネとの離婚でした。
ナポレオンは彼女との離婚の結果、大半会という相性の恩恵を失い、一気に運の谷間へと転落して行く事になります。今までは、考え、行動全てが好結果を生んでいましたが、離婚したとたん、それら全てが裏目に出る最悪の結果となりました。
ジョセフィーヌ・ド・ボアルネとの離婚後、ナポレオン自身の運の下降に伴い、フランス軍は徐々に衰退して行きます。
1812年、60万の兵を率いてロシア遠征を決行しますが、55万の戦死者を出し大敗、これが致命傷となり、1814年、ヨーロッパ各国の包囲網にあい、ついにナポレオン帝国の首都パリが陥落、彼は退位、追放されてしまいます。
1815年にはパリに戻って復位を成し遂げますが、ワーテルローの戦いで完敗し、これで皇帝ナポレオン、そしてナポレオン帝国は完全に消滅します。

1796年ジョセフィーヌ・ド・ボアルネと結婚して14年、彼は、妻との大半会の相性により、人生の頂点である皇帝にまで登り詰める事が出来ました。ところがどうでしょう、1810年に彼女と離婚したとたん致命的な敗戦をして、離婚してたった5年で王位を追われる結果となりました。
もしナポレオンが、ジョセフィーヌ・ド・ボアルネと離婚していなかったらどうだったでしょうか。
二人の大半会の上昇運により、1812年のロシア遠征での致命的敗戦は絶対になかったはず。それ以前に、ナポレオン自身ロシアに勝利できると確信していても、ロシア遠征の決断を下さなかったはずです。これこそが大半会という相性の真髄なのです。
歴代の王達が、この算命占星術学相性占技を知っていたらどうなっていたか。世界の勢力図は大きく変わっていたことは間違いありません。
これだけ影響力のある相性占技を、私達の家庭、仕事に応用したらどうなるでしょうか。
夫婦は円満になり子孫にも恵まれ、会社でも出世するという最高の幸運を得られることは間違いないのです。

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