算命占星術学鑑定所明学院宇都宮校

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競輪界、神山雄一郎と吉岡稔真


この二人は一九九○年代競輪界で大活躍したスーパースター、二人のライバル対決は、永い競輪の歴史のなかでもトップに挙げられるほど激しいものでした。

西の横綱吉岡稔真、東の横綱神山雄一郎と呼ばれ、両横綱のレースでの激突は正に力と力のぶつかり合い、常に横綱の称号にふさわしいレースぶりを展開し、ファンを魅了してきました、

ある時は吉岡稔真が神山雄一郎を力でねじ伏せ、またある時は、そのリベンジとばかりに神山雄一郎が吉岡稔真を力でねじ伏せる。この二人こそが、ライバルがライバルを育てた典型と言えるでしょう。

二人の競輪界での実績を見てみると、神山雄一郎は一九九三年、二五歳で特別競輪(宇都宮オールスター)を初制覇、その後着実に特別競輪の優勝を重ね、競輪界最多の特別競輪優勝一六回というタイトル数を獲得し、一九九九年、競輪界史上三人目のグランドスラマー(特別競輪全冠制覇)にも輝きました。

常に勝に徹する神山の走りは、同僚の選手のみならず、多くのフアンからも厚い信頼を受けていました。

一方の吉岡稔真は、デビュー二年目の一九九二年、弱冠二一歳で特別競輪の最高峰である日本選手権(前橋ダービー)を制し、その後引退するまでの一八年の間に、一三個のタイトル(特別競輪優勝)を獲得しました。

この吉岡の競輪競走を美学にまで高めた走りは、勝ち負けに関係なく多くのフアンを魅了し、記録よりも記憶に残る選手として引退した今でも多くのフアンに愛され続けています。

神山雄一郎(一九六八年四月七日生)、吉岡稔真(一九七○年六月一五日生)、この二人のライバルとしての相性を算命占星術学的に見てみると、天剋地冲という相性が表出します。

天剋地冲とは、前世からの因縁を背負ってこの世に生まれて来た人達、つまり前世から家系同士いがみ合っていた、憎しみ合っていた、親の仇等様々な形でぶつかり合っていた因縁を背負って生まれて来た人達なのです。

ライバル同士の相性としては、この天剋地冲が、他の相性よりも一番ふさわしい相性となります。

天剋地冲の本来の質である「因縁」が、ライバル達には最高の運気となって作用し、お互いの闘争心を最高潮にまで掻き立てる事となります。

よく因縁の対決と言いますが、正にその通り、前世からの因縁を背負っているのですから激しい戦いになるのは当たり前、それが名勝負を繰り広げる原動力となるのです。

そして天剋地冲のもう一つの質「破壊、憎悪」です。本来、相性占技において「破壊、憎悪」は副作用となってしまいますが、ライバル同士においては副作用ではなく、二人の運気、競技力を上げる最大の好転運となるのです。

神山、吉岡この二人の戦いぶりは、一般的に言う好敵手ではなく、一種憎悪にも似た凄まじいものでした。なぜ二人をそこまで掻き立てたのか、それこそが天剋地冲の「憎悪」なのです。前世からの因縁である「憎悪」が、彼ら二人を奮い立たせ、知らず知らずのうちに運気、競技力を上昇させる結果となったのです。

そして二人が偶然にも同じ世代、同じ職業で出会ったというのも、やはり前世からの因縁が二人をライバルという形で出会わせたのです。

何度も言いますが、この天剋地冲という相性が表出した時は、因縁深い二人、今生において、何らかの形で出会わなければならない二人だと考えます。

神山雄一郎と吉岡稔真が、もし天剋地冲の相性でなければ、ここまでの戦いは出来なかったでしょうし、ここまでの成績も残せなかったでしょう。

こういったライバル対決を見たとき「二人が違う世代で生まれていれば、潰し合いをせず、もっと活躍できたのではないか」と誰もが思うでしょう。しかしそうではないのです。算命占星術学的に見れば、神山のライバルは吉岡でなければならないし、吉岡のライバルも神山でなければならないのです。そして同世代で激突したからこそ、これだけの活躍ができ時代の寵児となれたのです

この様に、時代の寵児と呼ばれる人達は、いつの時代でも類まれなる才能だけではなく、後天運の相性として、ライバルや監督・コーチに恵まれているものなのです。

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